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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)808号 判決 1985年12月24日

控訴人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

滝澤修一

被控訴人

甲野次郎

右訴訟代理人弁護士

木下哲雄

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

理由

一<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  控訴人(大正八年五月一日生)は、昭和一六年一月、被控訴人の長兄である甲野太郎と結婚し、春子(但し、昭和一七年一一月三〇日死亡)及び秋男の二子をもうけたが、太郎は昭和一九年二月二三日戦死し、秋男も同二〇年一月一三日死亡したので、控訴人が家督相続をした。甲野家の財産を保全したいと考えた太郎の母静子らは、太郎の末弟である被控訴人(昭和二年二月二五日生)と控訴人とを説いて両名を結婚させることとし、昭和二一年三月一五日両名は結婚式を挙げ、同年一二月二一日に入夫婚姻の届出をした。

2  結婚後、被控訴人と控訴人は被控訴人の実家で暮らし、被控訴人は長野○○事務所に勤務した。そして、両名間には昭和二二年二月九日に長男夏男、同二四年一一月一八日に二男冬彦、同二七年九月一五日に三男三郎、同三二年四月三日に長女陽子が生まれた。この間、控訴人と静子とは、控訴人が相続した財産の問題等をめぐつて不仲となり、静子から民事調停の申立てがなされたりしたが、昭和三一年ころには一応解決した。

3  控訴人は多少口うるさいところがあり、また、被控訴人より歳上であつたことなどから、被控訴人の方では押えられているという感じを持つており、子供から見ても夫婦仲がしつくりいつていないように見えるところもあつたが、時々は家族で旅行などもしており、前記静子との争いのほかには取り立てて問題となるような出来事もなく推移した。昭和四三年四月から同四五年五月まで被控訴人は長野○○事務所○○支部に単身赴任し、また、同四六年四月には二男冬彦が就職、三男三郎が大学入学で家を離れ、同五一年には長男夏男が結婚して控訴人、被控訴人と同居し、長女陽子がそれ以前に大学入学で家を出た。

4  被控訴人と控訴人とは、結婚後歳月を経るうちに、夫婦間で格別の騒動があつたわけではないものの、日常生活の中で互いに相手に対する不満をつのらせ、諍いをし、夫婦の間柄は次第に冷却していつた。そして、遅くとも長男が結婚した前後ころまでには夫婦間の性交渉も絶えてしまつた。しかし、被控訴人は、毎月の生活費を控訴人に渡し、控訴人及び夏男夫婦と家庭生活を共にしていた。

5  被控訴人は、売春婦と関係したことが一、二度はあつたが、昭和五二年ころから上山田の旅館で働いている乙山愛子と懇ろとなり、情交関係を持つようになつた。ほどなく右事実が控訴人ら家族に知られ、家族の者が被控訴人を諫めるとともに、愛子にも会つて関係を絶つよう求めたが、その効なく、昭和五三年三月ころには、被控訴人が愛子のために敷金六万円を出してアパートを借りてやり、冷蔵庫や箪笥をも買い与え、そのアパートに頻繁に通つて関係を続けた。そして、その後も家族から言われるたびに、愛子とは別れたとか、もう会わないなどと取りつくろいながら、夜になるとひそかに家を抜け出して愛子方に通うという状態であり、家族の依頼で被控訴人の職場の上司が忠告をしても守られなかつた。

6  こうしたことが続いたため、控訴人と子供たちは被控訴人に対して非難と反感を強め、家庭内の空気は極めて険悪となつた。(被控訴人から自動車の鍵などを取り上げたこともある。)そして、昭和五三年秋ごろから、子供たちは、被控訴人が行いを改めないとして同人に対し暴力を振うようになり、特に同年一二月末には、その前日ころに被控訴人が愛子に会つたということで、夏男、冬彦、三郎が深夜長時間にわたり交々被控訴人を殴る蹴るなどして肋骨々折の傷害を負わせ、九日間ほど入院させた。右暴行の際、控訴人は子供たちの側に立ち、暴行を止めさせようとする努力はしなかつた。

7  昭和五四年八月ころ、控訴人と夏男が愛子に会い、被控訴人が愛子のために出した敷金六万円や被控訴人が買い与えた冷蔵庫等を取り返した。しかし、控訴人と子供たちは、その後も、被控訴人が愛子のほかに他の女性とも関係しているのではないかとの疑いを持つており、被控訴人と家族との間は引き続き何ら融和することがなかつた。そのうちに、昭和五五年一月中旬ころ被控訴人が三日連続して深夜にモーテルに勤務する丙原桃子方を訪れた事実が判明したことなどから、控訴人及び子供たちはますます被控訴人を責める気持を強めた。昭和五七年一一月一日ころ、冬彦と夏男は、被控訴人がまだ身持ちを改めないとして、又もや被控訴人に対して殴る蹴るなどの暴行を加え、約二週間の加療を要する腰部・後頭部打撲、右大腿部・右耳介部打撲血腫の傷害を与えた。この際の控訴人の態度も前記と同様子供たちの側に立つものであつた。そして、翌日、控訴人と冬彦、夏男が控訴人の信心する岡谷市内の宗教の教祖宅に被控訴人を連れて行き、被控訴人はその場で、今後は女と手を切り、家庭本位に明るく控訴人と一致して生活することなど六項目の誓約書を書いた。

8  その一〇日余り後である昭和五七年一一月一四日、被控訴人は家を出て実姉方に身を寄せ、以後別居状態となつた。昭和五八年四月、被控訴人は、長野○○事務所○○支所に転勤となり、単身赴任したが、同年七月ころ愛子を天龍下りに誘い、肉体関係を持ち、同年暮にも愛子と行動を共にした。

9  被控訴人は、現在、控訴人と婚姻を継続する意思は全くないが、控訴人は、長年苦労して生活をしてきたのに、老齢に達したいま、被控訴人が離婚を求めるのは身勝手であるとして、離婚には絶対に応じないとの態度である。以上の各事実を認めることができ<る>。

<証拠>中には、被控訴人が離婚原因として主張する事実(請求原因3記載の事実)に符合する趣旨の記載又は供述があるが、その余の前掲各証拠と対比すると、被控訴人の思い込みや誇張がみられ、また、被控訴人の女性問題が表面化してから後のこととそれ以前のこととが渾然と述べられており、右の記載又は供述から直ちに前記の認定以上の具体的事実を認定することは困難である。<以下、証拠判断略>。

二右認定事実によれば、被控訴人と控訴人との婚姻関係は、現在においては深刻に破綻した状態に立ち至つているといわざるを得ない。両名の婚姻生活は、その結婚の経緯や年齢差等の点でやや特殊なものがあり、歳月を重ねるにつれて、歳上で口やかましい妻に押さえられているという被控訴人の不満が嵩じたが、これに加えて、控訴人にも自らの妻としての態度、接し方を省みるところが十分でなかつたふしが窺われ、それが被控訴人の気持をいつそう控訴人及び家庭から遠ざからせたことは、推測するに難くない。

しかし、昭和五二年ころに被控訴人が愛子と関係を持つころまでは、夫婦仲が冷却し性交渉は途絶えていたとはいえ、四人の子供を成人させた夫婦としてそれなりの家庭生活を維持し、長男夫婦をも交えて家族としての日常生活を過ごしていたことが認められるのであつて、その時点で既に、双方の努力によつてももはや回復する見込みがないほどに夫婦関係が破綻し、全く形骸化していたものであるとまではいまだ認めることができない。しかるに、被控訴人が昭和五二年ころから愛子と不貞の関係を結び、家族らの忠告も容れずに右関係を継続したため、夫婦及び親子関係は一挙に極めて険悪化し、以後前記認定のような暴力をも伴う異常な状況を招来するに至つたのである(丙原桃子との件も、客観的には疑惑を抱かれても致し方のないものである。)。このような経過からすれば、被控訴人が右不貞行為に出たことについて、たとえ控訴人の妻としての態度や家庭の冷めたさがその一因をなしており、また、右不貞行為が発覚した後における家族の者の度の過ぎた対応がかえつて被控訴人をかたくなにした一面があるとしても、婚姻関係を決定的に破綻するに至らしめた主たる原因ないし責任は、やはり被控訴人の側にあるものといわなければならない。右不貞行為を単なる遊びにすぎなかつたとして婚姻破綻についての被控訴人の責を軽視することは相当でない。

三以上の事実関係の下においては、被控訴人と控訴人との婚姻関係は深刻に破綻し、回復が困難となつているけれども、被控訴人からの離婚請求については、いまだ民法七七〇条一項五号にいう「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するものということはできず、被控訴人の本件離婚請求はこれを棄却すべきである。

四よつて、これと趣旨を異にする原判決を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中島 恒 裁判官佐藤 繁 裁判官塩谷 雄)

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